若い頃、というより30代第3クォーターくらいまで(!)のわたしは、日本人のくせに「空気を読む」ことの意味をほとんど理解していませんでした。
ひとに叩かれるのを恐れて自分の行動を抑制してしまうなんてつまんねー! というくらいに思っていたのです。
でもそれはそれまでのわたしの行動力の源ともなったと同時に、愚かさでもありました。
それは、叩く側こそ傷ついている、という視点が欠けていたから。
叩かれる人と同じくらいか、場合によってはそれ以上に。
その考え方をこれまでわたしが受け入れたくなかったのは、単に自分が傷つかないための処世術だと思っていたから。どこかで卑怯だと思っていたのかもしれません。
でもほんとうは、傷つきやすい、または既に傷ついている他人の心を守るための「優しさ」としての自己抑制、という側面もあるのですね。
ここ数年でやっとその大切さに気がつきました。
「心からの優しさとしての自己抑制、空気読み」があるとわかっただけでも、わたしは少ぉしだけ賢くなったかもしれません。
もちろん、みなさまよりはまだまだ空気を読む能力はかなり劣りますけどね。
いま、そんなふうに思っています。
そして、このことを(きっと意図してではないだろうけど)4-5年前に教えてくださったみなさまへ。
届かないかもしれないけれど、謹んでお詫びとお礼を申し上げます。
ごめんなさい。許してください。ありがとう。愛しています。
元Reiaより